3/5(168日目)

昨晩は今までの寒さが嘘のように暖かく、人気もなかったためぐっすり寝られた。
さぁ、昨日は道間違えた跳ね返された鬼ノ城に再アタックをかけるぞ!

安らぎのトイレに別れを告げ(自転車は置いて)、いざ出発!
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急斜面だが、自分の身一つなので余裕余裕。
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昨日に引き続き気温が高いから、すぐ汗びっしょりになったけど。
バタフライ系も飛び回り始めた。
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登山道に入ってから1時間弱で、お城の高石垣が見えてきた。
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程なく東門跡に到着!
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見晴らしはいいけど、春霞ですなぁ。
あ、でも冬の澄んだ空気はもういいです。
寒いの勘弁。

鬼ノ城は、擂り鉢状の鬼城山の山頂に築かれた古代山城
築城時期・目的は未だ謎が多いが、一説には飛鳥時代、朝鮮半島・中国大陸からの侵攻に備えて建てられたものと推測されている。
このお城がある山は岩山で、石の現地調達が可能な立地。
(だから昨日は死ぬ思いのしたのだが。)
その為、石垣や敷石の遺構が数多く見られる。
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そしてこの城の特徴は、5つの水門を用意し、排水処理をキチンとしている事。
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主な防御施設が石垣の他に、土を搗き固めて作った版築土塁というものもあり、放っておくと雨水によって石垣・土塁・敷石が流出して瓦解してしまう。
それを防ぐために、山の各所に水路を設け、城門とは別に水門から水を抜いていたのだそうな。
城中央部には生活用の溜め池もあり、山城における水の扱いの大変さを伺い知ることができる。

城壁周りをぐるーっと回っていると、やがて最大の門・西門が姿を現した。
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この門は復元建築物だが、ここら一帯の遺構が一番保存状態が良かった為、建てられたらしい。
門から伸びる石畳と、眼下に見下ろす風景が見事。
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ここから少し降りたところに、スタンプ設置場所の鬼ノ城ビジターセンターがある。
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本当は、ここに自転車で来るべきだったんだが・・・。
中には常時使えるトイレにベンチがある。
開館中は中の展示物も無料で見られるし、ウォーターサーバーのある休憩室もあるのでぜひ立ち寄られたし。
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こちらの資料によると、この鬼ノ城はさっきも書いた通り、朝鮮半島三国時代、新羅・百済・高句麗のうち百済が滅んだ時期に前後して建てられたのではないかと言われている。
というのも、百済と日本(当時は倭)は同盟関係にあったそうで、百済が唐・新羅の連合軍に攻められた際は、日本から数万の援軍を出したという。
しかし倭国は、唐の水軍に大敗を期し(白村江の戦い)、百済は滅んでしまう。
その後、大陸・半島からの侵略に備えるため、九州・中国地方を中心に古代山城が次々と建てられ、その遺構は各地に今でも残っているのだとか。
その流れで、この鬼ノ城も建てられたのではないかと言うのが、今の有力な築城目的。
因みに建築には、百済から逃げ延びてきた当時の技術者・職人が大きく関わっていたという。

ところで、岡山・鬼、と言えば「桃太郎」を思い浮かべるが、鬼ノ城には温羅伝説なる伝承がある。
温羅(うら)とは、鬼ノ城に住み着いた
渡来人(人?)であり、自身の製鉄技術を持って一帯を支配したという。

周辺の民からの苦情で、都から吉備津彦命というものが派遣され、見事温羅を退治するというお話。
これが桃太郎伝説の元となったエピソードと言われている。
鬼が渡来人だったり、桃太郎が大和朝廷の将軍だったり、そもそもこういった伝承が残っているということは、やはりこの鬼ノ城は唐・新羅の侵攻に備えたものだったのだろうか。

その鬼の製鉄技術のおかげかどうか分からないけど、日本刀の名刀・備前長船の産地がここの近く(といっても100kmくらい離れているけど)。
高い技術と良質な鉄が取れた地域が生んだ産物なんだろうな。

でも、社会の歴史で教わったときも思ったけど、よく飛鳥時代に、日本から海を渡って大軍を派遣したなぁと。
たしかこの戦いは、西暦660年くらいの出来事。
あと海を渡った戦いといえば、鎌倉時代の元寇(1280年頃)と、秀吉の朝鮮出兵(1600年頃)しか思いつかない。
こちらから出向いたとなると、飛鳥時代-安土・桃山時代のおよそ1000年も開きがある。
よう行ったな。

さてさて、ここビジターセンターは、自分が登ってきた東門登山口とは反対側。
西門に戻り、城壁周りの残りルートを歩いてさらに元来た登山道を降りて、自転車を置いてあるトイレに戻るともうお昼の12時前。
登り始めたのが朝7時頃。
5時間ほぼ歩き通しだったのか。
結構頑張ったな。
ということで36城目・鬼ノ城攻略!

ふぅ、1時間ほど休憩してから出発しよう。
お次の進路は岡山市方面。
明日は雨らしいし、野宿する場所をネットカフェの近くに陣取っておきたい。

今日は一日晴れらしいし、お天気は心配ない。
なので是非とも。市内にいく前に寄りたい所があった。
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秀吉の水攻めで有名な、高松城跡
城跡は公園として整備されていたけど、実際行ってみると公園の周りは見渡す限り水田や畑が広がっていた。
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一帯は低湿地帯というのがよく分かる。
この城は秀吉侵攻当時、毛利方のお城であった。
石垣を用いず、土塁を盛り、周りの低湿地帯を堀として利用していた。
いわゆる天然の要害というやつだが、秀吉はそれを逆手に取り、マネーパワーとマンパワーを以ってして、突貫工事で城の周りを堰堤で囲む。
折しも梅雨時。
瞬く間にお城は湖上の孤城となったという。
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あとはどっかと腰を据えて、相手の降参を待つばかり。
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というところに、本能寺の変が勃発。
秀吉は迅速かつ冷静に、敵方の毛利氏と和睦交渉。
城兵の助命と引き換えに、高松城主・清水宗治は切腹し果てる。
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そしてここから、秀吉天下取りの第一歩・中国大返しが始まるのだった。

そんなドラマがあったこの地を練り歩いていると、こんなものが。
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水攻め音頭!そんなのもあるのか。
メロディーがあるなら、ぜひとも聞いてみたい(笑)

一通り廻ったところで、腹減ったな。
地図で調べると、新たな岡山名物・えびめしのお店があるっぽいので行ってみる。
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オムレツがかかったのが美味しそうだったので、それを注文。
オムえびめし(880円)
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うむ、旨い!
味付けはドミグラスソースかな?
色もそれっぽいし。
そこにえびのプリプリ食感と旨みがたまらんです。
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ごちそうさまでした!

腹も膨れて、市街地まであとちょっと。
日の入り前になんとか到着。
37城目・岡山城!
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烏城(うじょう)の名の通り、カラスのように黒塗り。
金の鯱とのコントラストが美しい。

現存建築物の月見櫓。
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宇喜田時代の石垣。
埋め立てられその上に藩の御殿が建てられていたらしい。
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17時に迫っていたので、今回は天守に入れなかったが、スタンプだけはお願いしてゲット。
雨が止んで再出発の日にまた来よう。
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岡山城の番兵にさよならをして、
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日本三大庭園の一つ、後楽園の周りをグルり
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スーパーで弁当を買って食事。
イートインコーナーが入り口のまん前とか、どんな羞恥プレイなんだ…。
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そそくさと出て、お城の近くの東屋で寝ようと思ったら道を間違える。
ふと脇を見ると、スタジアムが見えたので、覗いたら軒下?階段下?で雨風は凌げそう、ラッキー。
今日はこの下を借りよう。

走行時間:2:35:56
走行距離:35.83km
平均速度:13.41km/h

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